Friday, December 25, 2009

October - December 2009

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Wednesday, December 16, 2009

コロンボ

コロンボ空港に着陸したのは午前二時のはずのが午後二時ごろになった。実は、私がコロンボに早く着きたかったのは、着いた日にインドのビザを受け取るためにビザオフィスへ行きたかった。前のビザはインドに一辺しか入れないビザで、インドに帰りたかったら、もう一度ビザをもらわないといけなかった。それに、五日間ぐらいかかるので、すぐに行きたかった。

空港からビザオフィスへすぐ行ったけど、着いたのは閉まった時間の一分後。マネジャーが外に立っていたから、ちょっとマネージャーと話した。実は最近の一、二週間前、インドビザを取ることは少し厳しくなったので、またすぐにビザをもらうことができるかわからなかったので、このことを聞いてみた。でもビザをくれることを決めるのは、このオフィスの人ではなく、インドのハイコミッションで、先にその人たちに話したほうがいいと教えてくれたので、次の朝ビザオフィスへ行く前、そうすることにした。ビザをくれないと言われたら、ビザオフィスへ行く必要がない。

まあ、さてと。初めは、コロンボに泊まる予定はなかった。朝早くコロンボに着いて、ビザのことを調べて、友達と待ち合わせできるように、その日すぐ南へ行くと考えてたが、もう一日コロンボにいないといけなかった。どこに泊まればいいかもわからなくて、カウチサーファーに電話して、グウェンと言うこのカウチサーファーのアメリカ人の友達の所で泊まれると言って安心!

その二時間後、シナモングランドと言うホテルで待ち合わせすることにした。そこからグウェンの何人かの友達と違うホテルのレストランに行くことにした。コロンボに住んでいる外人はよくすごくいいホテルのレストランで食べるらしい。

二日間もあまりよく寝ていなかったから、私はめちゃ眠たかった。このレストランで食べ終わってから、みんなはまた違うホテルで飲みに行くと話してたけど、私はもうそれ以上起きてられなくてグウェンのアパートへ行って寝た。

次の朝、ビザのことでコミッションに行った。グーッドニュース!ビザをくれるって、なんと安心!コミッションの人は私のパスポートのページを何回か見て、二ヶ月インドにいたのにどうして帰りたいのか聞いた。私はまだインドの旅行は終わってないからと答えて、どの州にまだ行きたいか教えた。そしたら、後ろのオフィスへ行って、戻ってきたらビザをくれると言った!その後は、ビザオフィスへ行って、アプライした。ビザは一週間後受け取られると言われた。ビザのことが終わったから友達と待ち合わせできるようになった。

チェナイ空港

コロンボへの出発は夜の一時のはずだったからチェナイの空港に十時ごろ着いた。チェックインしてから四人の友達と空港の外のレストランで待ち合わせした。友達は私よりコロンボに六時間後に着く予定のフライトで、チェックインの時間はまだだった。レストランでスリランカに着いてからの待ち合わせ場所を決めて、国の南の方で待ち合わせすることにした。

十二時半ごろになったらゲートへ行き始めて、ゲートに着いてちょっとしてから飛行機に乗った。前の日はオーバーナイトの電車で、長いこと寝なかったので、すごく眠たくて、席に座ってからすぐ寝てしまった。今度起きた時は二時間後で、みんなが飛行機から降りている様子を見て、コロンボに着いたのか左に座っている人に聞いた。でもまだチェナイにいると言われた。飛行機が何かの問題があったようだった。だからみんなは違う飛行機に乗る行くと思って、みんなと歩いた。でも違う飛行機に行く変わりに、空港の中へ戻って、うろちょろと空港のあちこちをみんなで歩き回った。誰も何すればいいかもわからなかったし、何にも教えてもらわなかった。そのうち、エアラインの人にちょっと待てと言われて、セキュリティーチェックの前でみんなで待った。二十分後、ゲートへ移動するようにと言われて、もう一辺セキュリティーをパスして、前と同じゲートへ行った。飛行機は五時半に出発すると言われた。

半時間もたたないうち、今度はフライトがキャンセルになったとニュースが伝わった。怒っているがたくさん。いつコロンボへ行けるのかぜんぜんわからなくて、誰も教えてくれなくて、何人かの人がエアラインの人たちに大声を出し始めて、大さわぎになった。働いている人は何かできることがあるがは電話を待ってると言って、今は何にもできないと、立ったままでみんなの話を聞いていた。誰もかもどうなっているかもわからなくて、突っ立ったまま。そのうち食べ物を出してくれて、それを食べた。あんまりじゃなかったけど、まあ、何もないよりまし。また時間が少しすんでから、今度は午後十二時に絶対飛行機に乗れると言ってきた。これを聞いて、喜んだ人がたくさん。これを聞いたのは六時ぐらいで、床でちょっと寝ることにした。九時ごろ朝御飯を出すと言って、その時間までしか寝なかった。

十一時半ぐらいになると、飛行機に乗る時間になって、みんなはゲートの前に集まり始めた。またまた大騒ぎだった。どうなってるかわからんかった。実は新しいチケットを配り始めていたみたいだったけど、静かにしろと言われても、ほとんどの人は言うことを聞かなかったからそのままだった。やっと新しいチケットを配るため、人の名前を呼び出した。 私の名前が呼ばれたら、チケットを受け取って、その後少し飛行機に乗った。

やっと午後一時ごろ、出発するはずの十二時間後、飛行機が飛び始めた。一時間後スリランカのコロンボに着いた。

Thursday, December 3, 2009

ヴァルカーラ

ヴァルカーラに行きたかったのは、友達がヴァルカーラはコヴァラムよりずっといいって言ってたからで、一日全体いる時間はなかったけど、朝だけでも行きたいと思って、行った。朝の五時ごろ起きて、トリヴァンダム行きの六時のバスに乗った。トリヴァンダムで、電車の時間を聞いて、切符を買って、電車が出るまでまだ時間があると知って、好きなパイナップルジュースを買いに行った。

トリヴァンダムからヴァルカーラまでの電車は三十五分ぐらいで、ヴァルカーラに着いたのは八時ごろ。ニシャントとマリアを一番南の町のカンヤクマリで待ち合わせする予定で、そこへ行く電車の時間を聞いた。午後二時の電車があったので、それまでに駅に戻ってこないといけなかった。さて、今度はビーチを探さんと。初めはバスを探してたけど、歩くことにした。お腹が減ってたので、一、二キロしてからレストランでちょっと止まって、朝御飯を食べた。後はまた二キロぐらいしてからビーチに着いた。

初めに着いたビーチの場所は誰も泳いでなかった。その辺で立っているうちに、一人のインド人が何か右の方へ指して、何か言ってたけど、よくわからなかった。とにかくビーチのもっとその方面に歩き始めた。するとたくさんの人が水の中で遊んでいるのが見えてきた。水の中もビーチで休んでいるのもほとんど外人だった。

たくさんの人がいたから荷物をそのままビーチに置いておいても大丈夫と思ったので、荷物をそのままビーチに置いて、水に入った。波があっておもしろかった~!電車に乗る前昼御飯がほしかったから、一時間ぐらい遊んでからビーチが見えるレストランで食べた。その後、ココナツを売っている女の人からココナツを一つ買って、駅へ向かい始めた。

駅に着いて、トリヴァンダム行きの方面に行ったら、ベンチに座ってる女の子を見て、何かどこかで見たことがあった気がして、突然思い出した。アレピーで会ったスイスからの女の子だった!またまた前違う都市に会った人と出会った。方面で待っている人の中で、外人が十人ぐらい。駅でこんなにたくさんの外人を一辺で見るのは始めて。

二十分か三十分してからやっと電車が来て、乗った。カンヤクマリはヴァルカーラから三時間ぐらいで、そこまで行く電車と思って乗ったのがトリヴァンダムが終点で、電車から降りないといけなかった。どうすればいいかわからなくて、階段を登っていったら、ヴァルカーラから六人ぐらいの外人が階段の上で突っ立てた。この人たちもカンヤクマリ行きの電車に乗ったと思って、どうすればいいかとちょっと迷ってた。すぐ近くに二人のインド人もカンヤクマリへいきたかったので、その人たちにどの方面へいけばいいか教えられた。そしてみんなでその方面へ向かった。

電車が来るまでまだ少し時間があったので、駅前のバス停行くことにした。もう何回かこのトリヴァンダムのバス停に行ったことがあるので、私の好きな飲み物があると知っていた。パイナップルジュースとシャルジャと言うミルクシェーク。荷物を持っていくともっと時間がかかるので、外人たちにみてもらった。そしてバス停へ走り始めた。

突然自分の名前が聞こえて、誰がさけんだかと見ると、何とカンヤクマリで待ち合わせするはずだったニシャントとマリア。二人は次のカンヤクマリ行きのバスを待ってたようだ。私は電車で行くと言って、二人も電車で行くことにした。二人に会ったからヴァルカーラからの電車がトリヴァンダムまでしか行かなかったことはいいことになった。私は飲み物を買ってから電車の駅へ戻った。

いよいよカンヤクマリ行きの電車が来て、電車に乗った。

Friday, November 27, 2009

コチン

コチンに着いたのは夜の八時ぐらい。マリアを電話して、バス停で会うことにした。待ってる間、すぐ近くのダーバで卵を食べた。その時、マリアがクリスと言うインド人のカウチサーファーと来た。マリアはクリスが三人のために部屋を探すのを手伝ってると言った。今まで私とニシャントはすごく安い部屋ばかり探していたから、ほんとにクリスもそんな安い部屋を探せるのかなと思った。やっぱりクリスが見つけた五百五十ルーピー部屋はいつもより高い部屋だった。クリスが言うことによると、これが一番安い部屋。これは絶対違う、問題はクリスが探していた部屋は私たちがいつも泊まっている部屋とはもっと良かった。テレビもあったし、床もかべもトイレもきれいだった。いつもはこんなにいい部屋をさがしていないからもっと安い部屋を探すことができる。部屋は寝る場所、別にすごくいい部屋なんていらない。一番大切なことは安いこと!

まあ、しかたない。クリスが一生懸命探した部屋だし、それにもう遅くなってきたから、この高いめの部屋に泊まった。

次の日、朝御飯はすぐ近くのレストランで食べた。私の好きなプリバジがあったからうれしい!あんまりうれしくなかったことはビルをもらった時。ヴァダと言う物が三つで18ルーピーと書いてあった。ヴァダなんて何かしらないしそんな物は注文していない。実は、ヴァダと言うのはインドのおかし。他の食べ物と一緒に小さいドーナツみたいな物が付いてきたから、これは別で払わないといけないとは思っていない。だからこのおかしを払わないといけないと知った時はちょっとびっくり。それにあんまりおいしくないと思ったから、一口食べて、全部食べてもいない。他の二人は全部食べたけど、それでも注文していないから、そんなのは払いたくない。レストランで働いている人と話して、初めはお金返してくれなかったけど、もう一人の人と話して、返してもらった。十八ルーピーはほんの少しだけど、注文していない物を払うことはばかばかしいと思う!

朝御飯がすぎてからは、ホテルに帰って、ちょっと休んだ。テレビでディスニーのアニメの映画カンフーパンダがついてたから、それを見た。そして、マリアがインターネットを使い終わってから、違うもっと安いホテルを探しに行った。実は、クリスがリクシャーでホテルに連れて行ったから、いる場所がよくわからなかった。でも、安いホテルはエルナクラムと言う場所にあると知って、バスでその辺で部屋を探しに行った。そのうち、二百四十ルーピーぐらいの部屋を探した。やったー!五百五十とは大違い。

部屋にチェックインした後、フォートコチンへ出かけることにした。フォートコチンはコチン市の歴史がある場所で、フェリーで行くのが一番だった。ホテルはフェリーポートのすぐ近くだから、十分ぐらいでポートに着いた。フェリーの切符はだたの三ルーピーだったけど、切符を買う列はめちゃ長かった。三十、四十以上いただろう。列に立ち始めたとたん、一人のインド人が女の列があると教えてくれて、女の列に立ちに行った。この列は五人ぐらいしか立っていなくて、切符がもっと早く買えた。女の列のことを教えてくれた人にも切符を買って、フェリーに乗った。私たちがいたエルナクラムからフォートコチンまでは、20分ぐらいかかったかな。

フォートコチンに着いて、周りを歩き始めた。ここは、ヨーロッパ人がずっと前建てたビルとか、きれいな道と緑がたくさんあって、きれいな所だった。歴史のある場所は、二、三キロぐらいの所だったから、その辺を歩き回った。そこらの場所を見終わったら、今度は違うフェリーポートを探し始めた。何時間前か、ホテルを探していた時、誰かが自分のレストランに来てほしかったから、その夜そこでビーチパーティーがあると言って、来たらどうかと言っていた。だから、フォートコチンの後、そこに行くことにした。そのうち、歩いていたら、肉のスナックを売っている店を見つけて、チキンサンドみたいなのを買った。これは、すごくうれしいことだった。なぜかというと、インドの他に行った所はほとんど肉類がない。だから突然肉類のスナックをたくさん売っている店を探したことはすごいことと思った。最後にチキンを食べたのはいつかも覚えていなかった。そして、そのチキンサンドはめちゃおいしかった。そんなにおいしかったので、もう一つ買ってしまった。もっと歩いてたら、すごく安いバナナを売っている人がいて、バナナを何本か買った。

そのうちもっと歩いていったら、リクシャーの運転手が私たちに話しかけて、ただでフェリーポートへ連れて行ってくれると言った。ほとんどの時リクシャーの運転手はお金だけのことを考えて、うそばっかりついて、信じられない人だから、この時もあんまり信じられなかった。どうしてただで連れて行ってくれるのかわからなかった。実はだれかを店に連れて行ったら、運転手はその店からお金がもらえることができるんだった。何も買わなくても、人を店に連れて行ったらお金をもらえる。だから私たちがいろいろな店へ行ったら、その変わりに、ただで行きたい場所へ連れてくれると言ったのだ。この運転手は初めからうそをつかなかったから、私たちはこの人を手伝うことにした。

店は三つか四つぐらい行って、何か買いたいまねをした。ニシャントはおもしろがって、いろいろな話を店の人に言っていた。一つの店では、二千ドルぐらいの物のことを店の人と話していて、ほんとに何か買いたいふりをして、ちょっとおかしくて、ちょっとひどいかな!

店へ行き終わってから、フェリーポートへ連れて行ってもらった。朝、ホテルを探していた時、一人の男子がニシャントに自分のレストランであるビーチパーティーのことを教えて、それはどんなのか行くことにした。ちょっと泊まっているエルナクラムからちょっと遠かったから帰りのバスとかフェリーがまだやっているか心配だったけど、この男子は夜遅く車で連れて買ってくれると言って、大丈夫と思った。このパーティーは外人をターゲットしているようだった。

このパーティーの一番近くのフェリーポートに着陸したら、パーティーがあるビーチへ歩き始めた。すごく遠かった!どんどん歩いていくと、ほんとにこのパーティーはいいのかなと思ってた。もう七時か八時ぐらいで、暗くなっていた。四十分ぐらい歩いてて、やっとビーチの場所に着いて、このパーティーがあるレストランを探した。レストランに入ったら、ほとんど人がいなくて、いた何人の人はちょっと年をとっていた。ビールもめちゃ高かったし、テーブルで座ったとたん、そこから出ることにした。

一日中、マリアはジフリーを言うカウチサーファーと待ち合わせのことを電話で話していて、このパーティーはよくなかったから、ジフリーと会うことにした。行き始める前、先はビーチに短い間あるいて、その後はアイスクリームを食べに行って、食べ終わってからエルナクラムへ帰りに歩き始めた。もう十時近くで、何人かの人にエルナクラムへのバスはないと言われた。きゃ~、どうしよう!まあ、そのうち、四十分ぐらい後、違うバスがきて、そのバスを五分か十分ぐらい乗って、違うバス停からエルナクラム行きのバスがあったから安心。

やっとエルナクラムに着いて、ジフリーと待ち合わせして、ジフリーとジフリーのいとことコーヒーの店へ行って、五人で何時間かそこで話し合った。二人はおもしろかったから楽しかった!

Friday, June 26, 2009